次期自民党総裁選に出馬すると話題の青山繫晴さんですが、その妻も有名人でした。青山千春博士です。記者から政治家になった青山繫晴さんの妻、青山千春博士もすごい経歴をお持ちなんですよ。
そしてこのご夫婦には2人息子さんがいます。息子さん2人も有名人なのかと思いましたが、長男の青山大樹さんしかお名前は分かりません。
時期総理候補の青山繫晴さんとその妻青山千春博士、そしてその2人の息子さんについてまとめました。
青山繫晴の妻はどんな人?
青山繁晴さんの妻、青山千春博士ですが、両親は音楽家で自身は水産学研究者で教授というすごい肩書をお持ちの方です。
水産学研究者の顔を持つ青山千春博士
青山千春博士はメタンハイドレート研究の第一人者です。
青山千春博士が水産大学の研究室に所属していた時、ナホトカ号重油流出事故が起こります。その事故の際、海中の重油湧出量についての計測と調査を依頼されました。
その調査の帰りです。航行魚群探知機を運用しつつ隠岐島東宝海域を航行中に、柱上物質の自噴を探知。この物質がのちにメタンハイドレートだったと判明し、研究を開始します。
メタンハイドレートといえば国産のエネルギー資源として大いに期待されている物質ですよね。青山千春博士は、その研究のなんと第一人者なのです。
独立総合研究所の代表取締役
青山千春博士は、独立総合研究所の現代表取締役です。
もともと独立総合研究所は、青山繫晴さんが三菱総合研究所の同僚とともに設立し、代表取締役に就任していました。
その後、青山繫晴さんが第24回衆議院議員通常選挙に出馬するため退任し、長男の青山大樹さんが代表取締役社長に就任します。
そして2021年4月1日付人事にて、青山千春博士が代表取締役社長に就任し、現在に至ります。
東京海洋大学准教授でもある
青山千春博士は、東京海洋大学の准教授でもあります。
2016年4月1日に東京海洋大学の准教授となり、2017年度に設置された海洋資源環境学部海洋資源エネルギー学科を担当されています。
メタンハイドレート研究の第一人者にぴったりの学科ですね。
青山千春の生い立ち
青山千春博士は、東京都豊島区の出身で、旧帝国海軍足柄軍楽隊とNHK交響楽団に勤めたトランペッター横川秀男さんと、NHK交響楽団のピアニスト横川和子さんの一人娘として育ちました。
幼少期から音楽に慣れ親しんだ生活を送り、足柄軍楽隊の父から海にまつわる話を多く聞き、海に憧れて航海士を目指します。
両親が音楽家だと子どもも音楽の方向を目指しそうですが、青山千春博士はそこで海に興味をもったんですね。きっとお父さんから聞いた海の話がとても魅力的だったのでしょう。
音楽家も狭き門だと思いますが、航海士もなかなか難関な気がします。しかもその後メタンハイドレートの第一人者になるのですから、航海士を目指してよかったと言えますね。
青山繫晴の息子は2人いる?
青山繁晴さんと青山千春博士には息子さんが2人おられます。
長男は青山大樹さんで、次男は名前など詳細は公表されていません。
長男の青山大樹は独立総合研究所の前社長
長男である青山大樹さんは、独立総合研究所の前所長を務められました。
2002年に青山繁晴さんが立ち上げた独立総合研究所ですが、2016年に青山繫晴さんが退職され、その後を継ぐ形で所長に就任します。
次男は詳細不明
青山繫晴さんの次男については、名前も公表されておらず詳細は不明ですが、海は嫌いなようです。
青山千春博士の著書『海と女とメタンハイドレート~青山千春博士ができるまで~』の中で次男について語る部分があります。
『晴海ふ頭から世界一周遠洋航海に出発後、二男が岸壁から動こうとしなかった。その後、二男が大学入学後下宿した際、その時の紙テープが机の中から見付かり、結果海が嫌いになった事が判明した』
海は母親と長く会えなくなるものだ、と寂しく辛い印象となって嫌いになってしまったのかもしれません。
青山繫晴のプロフィールと経歴
青山繫晴さんは、記者として活躍したのちに政治家となった方です。また作家として本も多数出版されています。
青山繫晴のプロフィール
青山繫晴さんのプロフィールは以下の通りです。
名前:青山 繫晴
読み方:あおやま しげはる
生年月日:1952年7月25日
年齢:72歳(2024年7月現在)
出身地:兵庫県神戸市長田区
出身校:早稲田大学政治経済学部
職業:政治家、作家
所属政党:自由民主党
青山繫晴の経歴
1979年26歳の時に共同通信社に入社、徳島支局へ赴任します。そこでは徳島県警の事件記者を担当。
1983年京都支局へ異動。京都府警のキャップ、宗教記者、京都府政を担当。
1984年大阪支社経済部に異動。証券、繊維、財務、金融業界の担当。
1987年東京本社へ異動、政治部に勤務。首相官邸の記者クラブで総理番を担当。その後『天皇班』に配属され、昭和天皇の崩御『Xデー』に向けた新元号(平成)の取材活動を行う。
1995年外務省サブキャップを担当。ペルー日本大使公邸占拠事件発生直後にペルー入りし、半年間ペルーに滞在して、事件の一部始終を取材した。
1996年共同通信ペルー特派員。この体験が引き金となり、記者を退職することを決意。
1997年共同通信社を依願退職。
1998年株式会社三菱総合研究所に入社。政策・経済研究センターにて国家戦略立案の専門研究員となる。
2000年小説第1作『夜想交叉路』で第90回文學会新人賞にノミネートされる。
2002年に同僚数人とともに三菱総合研究所を退職し、有限会社独立総合研究所を設立。代表取締役社長兼主任研究員に就任、経済産業省の総合資源エネルギー調査会の専門委員に任命される。
2016年64歳で第24回衆議院議員通常選挙に自民党公認で比例区から出馬することを表明。初当選を果たす。
2024年の自民党総裁選に出馬すると話題
青山繫晴さんは自民党の次期総裁選に出馬すると明言されています。
以前から野心や野望をもっての立候補ではなく、『我が国のために初めて野心なき総理が誕生するべき』という思いをもって、総理を目指しているそうです。
『国民のために死ぬ覚悟がある』と語る青山繫晴さん。その言葉からどれだけ本気なのかがうかがえます。
まとめ 青山繫晴の妻は青山千春博士で息子は2人!
青山繫晴さんの妻は東京海洋大学准教授の青山千春博士です。お二人には息子さんが2人います。
長男は青山大樹さんで、独立総合研究所の所長を務めたこともありますが、次男については詳細不明です。
ですが父、青山繫晴さんは記者の経験があり政治家、作家。その妻青山千春博士は水産学の博士で大学准教授というすごい両親です。
2人の息子さんたちも、公にはなっていなくとも何かの分野で活躍しているかもしれません。
国士と言われる青山繫晴さんの公設第一秘書の三浦麻未さんの経歴などをまとめていますのでご覧ください!
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