現在、報道番組を中心に活躍し、その鋭いコメントが注目を集めている橋下徹さん。
維新の会を代表する存在として知られた政治家であり、弁護士としての実務経験を背景に大胆な改革論を展開してきた人物です。
本記事では、維新の会の象徴的存在として全国的に注目を集めてきた橋下徹さんの経歴を軸に、学歴や生い立ち、政治家・法律家としての評判、さらには国籍や身長といったプロフィール面にも触れながら、その人物像を紹介していきます。
鋭い発信力で世間に賛否を巻き起こしてきた橋下徹さんとは、いったいどのような人物なのか、深掘りしていきます。
橋下徹は維新の会の代表だった?
ここでは、政治家・橋下徹さんが維新の会の代表に就任した流れをご紹介します。
2010年に大阪維新の会の代表に就任
橋下徹さんは、2010年に結成された大阪維新の会の代表に就任。
当時、大阪府知事であった橋下徹さんは、府と市の二重行政の解消や行政改革を掲げ、既存の政治体制に挑む姿勢を明確にしました。
大阪維新の会は、橋下徹さんの強い発信力と明確な改革ビジョンを軸に支持を拡大し、大阪市長選や府知事選で大きな成果を上げていきました。
橋下徹さんの代表就任は、大阪維新の会を地域政党から全国的に注目される政治勢力へと押し上げる重要な転機となりました。
2012年に日本維新の会の代表に就任
橋下徹さんは、2012年に結成された日本維新の会の代表に就任し、党の顔として全国政治の舞台に立ちました。
大阪維新の会で進めてきた改革路線を国政にも広げ、既存政党とは一線を画す姿勢を打ち出し、橋下徹さんの強い発信力と明確な主張は大きな注目を集め、日本維新の会は結党直後から国政政党として一定の存在感を示します。
2012年の代表就任は、橋下徹さんが地方政治の枠を超え、国政レベルで影響力を持つ政治家となった重要な節目でした。
橋下徹は維新の会の前に弁護士をしていた?
政治家として一世を風靡した橋下徹さんですが、維新の会代表を就任前は、弁護士として活動していました。
弁護士になるまでの道のりを紹介します。
大学卒業後に司法試験に合格
橋下徹さんは、高校卒業後、1年間の浪人生活を経て、翌年早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。
大学時代に学生ビジネスで訴訟を起こすといった経験をきっかけに、法律家を目指すようになったそうです。
1994年同大学卒業後、司法試験に合格しました。
橋下綜合法律事務所も設立した敏腕弁護士
司法修習を経て1997年に弁護士登録をし弁護士になった橋下徹さんは、大阪市北区西天満の「樺島法律事務所」に入りましたが、同和地区問題を拒否し、1998年、大阪市北区西天満に自前の「橋下綜合法律事務所」を設立し独立。
設立後は、テレビ番組への出演や大型訴訟への関与を通じて知名度を高め、難解な法律問題をわかりやすく解説する姿勢で注目を集めました。
また、企業法務や行政訴訟など幅広い分野を手掛け、交渉力や発信力を武器に数々の案件を解決へ導いたことから「敏腕弁護士」として評価されるようになりました。
橋下徹の経歴や生い立ちは?
維新の会代表としても、弁護士としても、活躍してきた橋下徹さん。
その経歴や生い立ちはとても気になりますよね。
生まれは東京・育ちは大阪
東京都渋谷区出身。実父が急逝し、母と妹と小学5年生の時に大阪府吹田市に引越し、1年後には大阪市東淀川区東中島へ移り住みました。
名門・大阪府立北野高校在学中は、ラグビー高校日本代表候補に選ばれ東西対抗にも出場。日本テレビの「全国高等学校クイズ選手権」にも出場し、地方予選で敗退したが放送には映っていました。
現役時代は、大学受験に失敗するも、1年間の浪人生活を経て、早稲田大学政治経済学部経済学科に入学し、大学卒業後、司法試験に合格。
司法修習を経て、弁護士になりました。
2003年に「行列のできる法律相談所」にテレビ出演する
2003年4月から、久保田紀昭さんの後任として日本テレビ系全国ネットの「行列のできる法律相談所」にレギュラー出演するようになりました。
橋下徹さんが弁護士軍団の他の弁護士さんと大バトルする様子は同番組の名物でもありました。
そんな橋下徹さん、当時の髪型が茶髪だったこともあり、「茶髪の風雲児」と言われ、注目を集める存在に。
その圧倒的な存在感でたちまち話題の人になりました。
2008年に大阪府知事に就任する
2008年、大阪府知事選に立候補し、約54%の得票数を獲得し、38歳の若さで大阪府知事に就任。
主な政策として、財政再建・大阪都構想推進に力を入れました。
2011年春に行われる大阪府議会および23の市町の選挙に向けて大阪の形を変えていきたいと主張し、政治グループを立ち上げる決意を示し、2010年4月19日、大阪都構想実現を掲げる地域政党大阪維新の会を結成し、自らが代表に就任。
2011年11月、自らが掲げる大阪都構想などの政策実現を目的として、任期を3ヶ月余り残して大阪府知事を辞職。同年12月に、第19代大阪市長に就任。
知事経験者が政令市長に就任したのは史上初のことでした。
2015年に政界から引退する
2015年5月17日、「大阪都構想」の是非を問う住民投票が行われ、結果は反対多数で否決。
橋下徹さんは以前から、「大阪都構想が否決されたら政治家を辞める」と公言しており、その言葉通り引退を決断しました。
大阪都構想という最大の政治テーマに一区切りがついたことが、引退の大きな要因でした。
2015年12月18日、大阪市長の任期満了をもって、政界から正式に引退。
引退時、大阪市長の他に、大阪維新の会の代表も務めていましたが、引退により、これらすべての政治的役職を退きました。
政界引退後はタレント弁護士で活動中
政界引退後は、再びタイタン(芸能プロダクション)に復帰し、テレビ番組のコメンテーターや、タレント弁護士として活動を再開。
執筆活動なども行い、政治家ではない立場から社会や政治について発言しています。
橋下徹のプロフィールは?国籍・身長は?
橋下徹のプロフィール
◆名前 橋下 徹 (はしもと とおる)
◆生年月日 1969年6月29日生まれ
◆出身地 東京都渋谷区
◆血液型 B型
◆星座 かに座
橋下徹の国籍や身長
プロフィールを調べたところ、
国籍→日本国籍
身長→約178cm
ということです。
テレビ出演や公の場でも比較的高身長で、存在感があるとよく言われているようですね。
橋下徹の学歴は?
中学校:大阪市立中島中学校
当時、中島中学校は大阪では有名な不良学校だったそうです。
授業がまともにできる環境ではなかったというエピソードもありました。
橋下徹さんは、中学時代からラグビー部に所属し、チームの中心として活躍していたそうです。
また、橋下徹さんが中学1年生の時にお母さんが再婚されています。
高校:大阪府立北野高校
橋下徹さんは中学3年生の時に猛勉強をし、偏差値を20も上げ、大阪府立北野高校という難関高校に合格。
高校時代はラグビー部に所属し、高校3年生の時には全国高校ラグビー大会でベスト16の成績をおさめ、左ウイングで高校の日本代表候補にも選ばれました。
勉強も運動も、本当に努力したことが伺えますね。
大学:早稲田大学政治経済学部
早稲田大学政治経済学部に進学した橋下徹さん。
日本でもトップクラスの難関学部で、政治・経済・法律などを幅広く学べる学部です。
大学時代の橋下徹さんは、決してエリート街道をまっすぐ進んだタイプではないそうで、家庭の経済的事情もありアルバイトをしながら学校生活を送っていた、裕福ではない環境の中で努力をしてきたと語られています。
橋下徹さんにとって大学時代は、社会の仕組みを学び、自身の立ち位置を自覚し、将来の武器(法律)を選び取った、価値観と進路を決定づけた重要な時期だったと言えます。
橋下徹の評判は?
橋下徹さんは、短期間で 大阪府知事→大阪市長→国政政党の立ち上げ という異例のキャリアを築いた政治家でした。
引退は突然ではありましたが、自ら掲げた公約に責任を取る形での引退として、一定の評価があるそうです。
政界引退後も、テレビやSNS、執筆活動を通じて強い影響力を維持しています。
「政治家ではない立場だからこそ率直に語れる」という評価がある一方、「実権を持たないのに影響力が大きすぎる」との批判もあるそうです。
「結果を出す改革者」か「対立を生む政治家」か見る立場によって評価が大きく変わる人物のようです。
まとめ 橋下徹は維新の会の代表をしていた!
橋下徹さんは、大阪維新の会および日本維新の会の代表として、既存の政治体制に切り込み、地方分権や行政改革を強く訴えてきました。
改革を前面に打ち出す姿勢は常に賛否を呼びましたが、日本の政治や行政の在り方を考えるきっかけを与えたことは確かです。
政界引退後も発信を続ける橋下徹さんの動向は、今後も注目されていくでしょう。

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