紛争地域での活動歴が豊富な伊勢崎賢治さん。平和構築・紛争解決の分野で高い実績を持つ人物で、「紛争解決人」とも言われています。また現在は「大学教授」や「トランペット奏者」としても活躍されています。
変わった経歴を持つ伊勢崎賢治さんがどんな歩みをしてきたのか、プロフィールが気になる方も多いのではないでしょうか。
今回はそんな伊勢崎賢治さんのプロフィールや経歴や学歴、結婚まで調査しました。伊勢崎賢治さんは「反ウクライナ思想」なのか?世間の評判はどうなの?まで合わせて調べたのでご覧ください。
伊勢崎賢治についてのプロフィール
伊勢崎賢治さんのプロフィールを以下のようにまとめました。
生年月日 | 1957年7月6日 |
出身地 | 東京都 |
血液型 | A型 |
趣味 | 音楽鑑賞 |
職業 | 紛争解決請負人、教授東京外語大学教授、ジャズトランぺッター |
平和構築から音楽活動まで、さまざまな顔を持っていることがわかります。
伊勢崎賢治の詳しい経歴
伊勢崎賢治さんは、国際紛争解決の実務家として世界各地で武装解除を指揮してきました。
どのような活動を行ったのか、具体的な経歴をまとめました。
インドでコミュニティー・オーガナイザー活動
伊勢崎賢治さんは、1980年代にインドのムンバイ(当時のボンベイ)でコミュニティー・オーガナイザー(地域活動家)として活動していました。
1982年インド国立ボンベイ大学大学院社会科学研究科に留学し、主に以下のようなことを行いました。
スラム地域での住民組織化
特に、低所得者層が直面する社会問題(住居問題、衛生環境、教育、雇用など)に取り組んだ。
現地の住民と対話し、政府やNGOの支援を受けながら、生活向上のためのコミュニティ組織を作る手助けをした。
地域の自立支援
住民が外部からの支援に依存するのではなく、自らの力で問題解決できるようにすることを重視した。
現地のリーダー育成を行い、住民自身が主体となる活動を推進した。
経済的な自立を目指し、スラム内での小規模ビジネスの支援や、協同組合の設立にも関与した。
都市政策への提言
ムンバイの急速な都市化とスラムの拡大に配慮した政策提言を行う。
インドの社会問題に深く関わる中で、「開発」と「平和構築」の視点を形成。
伊勢崎賢治さんはこのインドでの経験を「自分の原点」としており、のちに国際社会での紛争解決や平和構築に携わる際の礎となったと述べています。
10年間アフリカで開発援助に従事
伊勢崎賢治さんは、1988年から1997年の約10年間、アフリカ各地で開発援助に従事しました。この期間、国際NGO「プラン・インターナショナル」に勤務し、主にシエラレオネ、ケニア、エチオピアで活動しました。
主に以下の活動を行いました。
農村総合開発プロジェクトの指揮
住民が主導する形で、井戸の建設、農業技術の改善、教育機会の提供。住民が自立できる仕組みを作ることを重視し、一時的な支援ではなく、持続可能な開発を目指した。
紛争地での復興支援と住民の組織
戦争で疲弊した地域に対し、学校の建設、医療サービスの強化、経済支援を実施。
紛争後の武装解除・社会復帰(DDR)の準備活動
内戦によって多くの子ども兵士が生まれたシエラレオネで、後のDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)の基礎となる支援活動を行う。
武装解除を進める際、単なる武器回収ではなく、元戦闘員が社会復帰できる環境づくりに重きを置いた。
伊勢崎賢治さんは、単なる開発援助ではなく、住民が主体となって復興・発展できる仕組みづくりを重視し、紛争地でも粘り強く支援を続けました。
アフリカでの経験が、その後の国連での平和構築活動、東ティモールやアフガニスタンでの行政統治や武装解除に生かされます。
国連PKO暫定行政府の県知事に務める
伊勢崎賢治さんは、2000年3月〜2001年5月の期間、東ティモール・コバリマ県で国際連合東ティモール暫定行政府 の県知事(上級民政官)を務めました。
背景
1999年、インドネシア占領下にあった東ティモールは、国連主導の住民投票で独立を決定。しかし、インドネシア軍や親インドネシア民兵組織による破壊活動が発生し、社会基盤が崩壊した。
伊勢崎賢治さんは主に以下の活動を行いました。
県知事(上級民政官)としての行政統治
事実上の県知事として、行政、治安維持、インフラ復興、教育、経済再建などを総合的に指揮。
インドネシアとの国境問題対応
国境周辺の緊張を緩和し、難民の帰還を促進。
国連PKO部隊(主にオーストラリア軍)と連携し、地域の治安を回復。
住民の生活再建と社会復興
破壊された学校や病院の再建、食糧配給、雇用創出など、生活基盤の立て直しを推進。
「国連が去った後も現地住民が自立できる仕組み」を意識し、行政の現地化を進めた。
伊勢崎賢治さんは行政統治と紛争解決の関係を深く理解し、「平和構築には軍事力だけでなく、行政の整備が不可欠」という考えを確立したそうです。
日本主導としてアフガニスタンで武装解除を担当
伊勢崎賢治さんは2003年2月〜2005年7月の期間、日本政府特別顧問としてDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)を担当しました。
背景
2001年の米軍によるアフガニスタン侵攻(タリバン政権崩壊)後、新政権(カルザイ政権)の安定化が国際課題となる。各地で旧軍閥勢力(ムジャヒディン)の武装が温存され、新政府の統治が不安定な状態にあった。
伊勢崎賢治さんは主に以下の活動を行いました。
DDR(武装解除・動員解除・社会復帰)の実施指揮
伊勢崎賢治さんは、国連やアフガニスタン政府と連携し、旧北部同盟(ムジャヒディン)、タリバン系残党、その他武装勢力に対しDDRを実行。
「戦わない交渉」で武装解除を実現
軍事力ではなく、「交渉による武装解除」にこだわり、軍閥の指導者と直接対話。
その後、DDRは成功しました。約6万人の元兵士が武装解除・社会復帰し、1万2千人以上の兵士が国家軍・警察に編入されました。
こうして、伊勢崎賢治さんはカルザイ政権の安定化に貢献しました。
伊勢崎賢治さんは「軍事力なしでも紛争解決は可能」という信念を深め、日本の安全保障政策にも言及するようになりました。
2024年の衆議院議員総選挙に立候補したが落選
伊勢崎賢治さんは、2024年10月27日に実施された第50回衆議院議員総選挙において、れいわ新選組から比例代表・東京ブロックで立候補しましたが、落選しました。
- 政党:れいわ新選組
- 選挙区:比例代表・東京ブロック
- 名簿順位:3位
- 当選者数:れいわ新選組は東京ブロックで1議席を獲得
今後も伊勢崎賢治さんのこれまでの国際的な経験と専門知識を活かし、引き続き平和構築や安全保障分野での活動を続けて欲しいものです。
伊勢崎賢治の学歴
国際紛争の解決や議員の立候補までさまざまな活動を行っている伊勢崎賢治さんはどのような学校を出られているのでしょうか。伊勢崎賢治さんの学歴をまとめました。
高校:東京都立立川高等学校
1976年に伊勢崎賢治さんは東京都立立川高等学校を卒業しています。
東京都立立川高等学校の偏差値は70から71です。
大変、優秀な学校であることがわかります。
大学:早稲田大学理工学部建築学科
1980年に伊勢崎賢治さんは早稲田大学理工学部建築学科を卒業しています。
元々は画家とか音楽家になりたかったんですよ。でもそれで食うのは難しい。で、中間を取って(笑)、建築家になろうと思った。建築も芸術の一分野だからね。だから建築でもアントニオ・ガウディみたいな意匠系、建築作家になろうと。非常に安易な動機ですね(笑)。
(中略)
建築家って、果たして社会の役に立ってんのかな? っていう疑問がだんだん膨らんできて。迷惑なものを作ってるだけなんじゃないかな? ってね。
引用:人材バンクネット
伊勢崎賢治さんは芸術への憧れから建築家になろうとしていたようですが、次第に建築家が役に立つのだろうかと疑問が湧いてきたようです。
大学院:早稲田大学大学院理工学研究科
1986年に伊勢崎賢治さんは早稲田大学大学院理工学研究科を卒業しています。
大学院で都市計画を学びました。おもしろそうな学問領域だったというのと、みんながやってないということもありましたし、いわゆる新しいものに魅かれたわけです。でも勉強してみたらこれも中身のないものだった。
引用:人材バンクネット
伊勢崎賢治さんは次に都市計画に興味を持ち、大学院で学びましたが中身のないものと失望したことで、インドへ留学することになります。
留学:インド・国立ボンベイ大学大学院社会科学研究科
1982年に伊勢崎賢治さんはインドの国立ボンベイ大学大学院社会科学研究科に留学しています(1984年に中退)
偶然大学の掲示板でインドの政府国費留学生募集を見つけた。当時日本の都市計画の学問は国内にしか向いてなかったんですが、日本の外、特に、貧困層に向けてみたいと思ったんです。とはいっても、貧しい人を救いたいという気持ちではなく、この新しい学問を生かす舞台として漠然とインドなんかいいかもなあと思ったんです。
引用:人材バンクネット
伊勢崎賢治さんは、最初は大学院で学んだ都市計画を生かす舞台としてインドを選んだようです。
伊勢崎賢治さんは国立ボンベイ大学大学院でソーシャルワークを専攻しています。
ソーシャルワークとは社会を変えることを目的にする学問です。
- 人々を説得する方法
- 交渉の仕方住民を横につなげる技術
- それら話術で民衆を動かすテクニック
- 住民先導術
を学んだそうです。
そうやってインドの大学でソーシャルワークを学ぶうちに、「世の中を変えるんだ!」みたいな気持ちになっちゃったんですよ。元々自分の動機としてそういうものがあったわけではないんですが、刷り込まれちゃったんですね。
引用:人材バンクネット
ここでの学びがコミュニティー・オーガナイザー(地域活動家)として活動に繋がっていきます。
伊勢崎賢治は反ウクライナの思想?
こちらの投稿で伊勢崎賢治さんは領土防衛のために命をかけているウクライナ人を否定しているでは?と「反ウクライナ」という批判を生みました。
「ロシアの侵略を十分に非難していない」、「ロシア寄り」という意見もあります。
しかし、伊勢崎賢治さんはあくまで平和主義的観点から「戦争の長期化を防ぎ、外交的解決を模索すべき」という視点を強調しています。
僕は国連や政府代表として現代の戦争をいろいろ見てきたが、ファミリー・ヒストリーとしての第二次世界大戦の体験がある。場所はマリアナ諸島サイパン。伊勢崎家はサイパン玉砕で、私の母と祖母、弟(叔父)など数人をのぞいて全滅した。
(中略)
だから今は徴兵制や市民総動員は、決して格好いいものではない。それは敵に無差別攻撃の口実を与えてしまう。本来守らなければならない市民を盾にすることであり、やってはならないことだ。ところが現在、自衛隊員から護憲派リベラルに至るまでこの認識を持っている人は少ない。
引用:長周新聞
伊勢崎賢治さんの「反ウクライナ」ともとれる発言は、彼のファミリーヒストリーによるものが基盤なのかもしれません。国のために市民を盾にすることはよくないという趣旨の発言ともとれます。
伊勢崎賢治さんは、ウクライナ戦争に関して「軍事支援の継続が戦争を長引かせる」という立場を取っており、西側諸国の対応にも批判的です。
このため、「反ウクライナ」と見られることがありますが、本人の主張はあくまで戦争を終わらせるための外交的アプローチを優先すべきというものです。
伊勢崎賢治の評判は?
伊勢崎賢治さんは、平和学研究者としての豊富な実務経験と独自の視点から、国内外で高い評価を受けています。
また、政治的発言については賛否両論あります。
国際的な平和構築への貢献
アフガニスタンで武装解除を行ったことで、日本が軍事的な関与をせずに「外交と交渉」によって武装解除を成功させた稀有な事例を作り上げました。この実績は国際社会から高く評価され、日本の平和外交の可能性を示す重要なケースとなっています。
平和学研究者としての評価
東京外国語大学の名誉教授として、平和構築や武装解除に関する研究と教育に従事し、多くの学生や研究者から尊敬を集めています。
政治活動家としての評価
れいわ新選組の政治活動や政治的発言に対しては支持と批判の両方が存在します。
伊勢崎賢治さんはその実務経験と専門知識から、平和構築や国際協力の分野で高い評価を受けています。一方で、政治的な発言に対しては、多様な意見が存在することも事実です。
伊勢崎賢治は結婚している?
伊勢崎賢治さんは海外で活動している期間が長いですが、結婚しているか気になっている方も多いのではないでしょうか。
伊勢崎賢治さんの結婚や子どもについてまとめました。
結婚はしている
伊勢崎賢治さんは結婚しています。
しかし、結婚や家族についてはほとんど語ることがなく、詳細はわかりませんでした。
インドから帰国後、失業状態におちいった伊勢崎賢治さんは奥さんの収入で生活しながら就職活動を開始したそうです。
このことから、20代前半頃にはすでに結婚していたことがうかがえます。
また、アフリカに派遣されたときは妻も一緒に赴いたとのことです。
- 伊勢崎賢治さんを収入面で支えていた
- アフリカで共に生活していた
このことから伊勢崎賢治さんの妻は、頼もしい方なのではと想像してしまいますね。
息子が2人いる
伊勢崎賢治さんには息子が2人いるのではといわれています。
しかし、子供についても公表されていませんので、息子が2人いるのかについての信憑性はわかりませんでした。
1988年にアフリカに赴任したときのことを以下のように語っていました。
家も引き払って、まだ生まれてから二カ月の長男、66歳のおばあちゃん、妻と家族全員連れていきましたから。
引用:人材バンクネット
また、紛争地に赴く際、家族に対する発言もありました。
紛争地に行くときも、たぶん女房や子供は僕のことを心配してると思うんですが、僕は家族のことは心配しないですよ。だって、ちゃんと保険もかけて行きますからね。
(中略)
子供には早く独立してもらいたいです。基本的に一流大学なんかに行かなくてもいいから、早く独立して欲しいですね(笑)
引用:人材バンクネット
このことから以下のことがわかります。
- 1988年に生まれた長男がいる
- 「長男」と発言したり「子供」と発言したりしていることから子供は複数いるのではないか
どちらにしても伊勢崎賢治さんに子供(息子)がいること自体は事実です。
まとめ 伊勢崎賢治のプロフィールまとめ
伊勢崎賢治の詳しい経歴は?
インドでコミュニティー・オーガナイザー活動、10年間アフリカで開発援助に従事、国連PKO暫定行政府の県知事、アフガニスタンで武装解除を担当、2024年の衆議院議員総選挙に立候補し落選
伊勢崎賢治の学歴は?
東京都立立川高等学校卒、早稲田大学理工学部建築学科卒、早稲田大学大学院理工学研究科卒、インド・国立ボンベイ大学大学院社会科学研究科中退
伊勢崎賢治は反ウクライナの思想?
発言が「ロシア寄り」という意見もあるが、「戦争の長期化を防ぎ、外交的解決を模索すべき」という視点での発言
伊勢崎賢治の評判は?
国際的な平和構築活動は評価されているが、政治的発言に対しては支持と批判がある
伊勢崎賢治は結婚している?
結婚していて、子供(息子)がいる
伊勢崎賢治さんは、「現場経験豊富な実務家」かつ「理論派の研究者」であり、平和構築・紛争解決の分野で高い実績を持っています。
今までの豊富な経験を元に、今後も活躍してくれることを期待しています。
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