大阪の地に、今異色の政治家が誕生しようとしています。その名は谷浩一郎(たに こういちろう)さん。10月27日投開票の衆院選では、大阪8区で参政党から立候補しました。
驚くべきは谷浩一郎さんの経歴です。政治家といえば、だいたいは弁護士や官僚、有名企業の出身であったり、あるいは世襲であったりするのですが、谷浩一郎さんは違います。谷さんは関西を代表するテノール歌手として、これまで国内・海外を問わず精力的に活動してきたのです。
そんなテノール歌手の谷さんはなぜ、参政党から政治の世界に飛び込んだのか。学歴や経歴、妻帯者で妻や子などはいらっしゃるのか。「音楽家から政治家へ」その大胆な転身の裏に、どのような決意があるのか。谷浩一郎という異色の政治家に迫ります。
谷浩一郎(参政党)はテノール歌手?経歴に学歴は?
そんな谷浩一郎さんのテノール歌手としての経歴やこれまでの学歴について、詳しく見ていきたいと思います。
谷浩一郎(参政党)はテノール歌手?経歴は?
谷浩一郎さんは大阪府出身の43歳です。(令和6年10月現在)以下、箇条書きで経歴をまとめてみました。
1981年 大阪府東大阪市生まれ
2000年 大阪府立夕陽丘高校卒業
2004年 大阪音楽大学音楽学部声楽学科卒業
2006年 大阪音楽大学大学院オペラ研究室修了
2009年 ドイツ国立マンハイム音楽大学芸術養成科声楽専攻卒業
2010年 帰国後、西日本でテノール歌手として活動。現在まで200本以上の公演に出演。
そんな谷浩一郎さんが政治の世界に入った理由はなんでしょうか?
それには、日本が経験したコロナ禍が関係しています。テノール歌手として活躍していた谷浩一郎さんが政界への転身を決意したのは、その当たり前だった日常が、一瞬にして奪われた時でした。コロナ禍では、舞台で歌う仕事はほとんどなくなってしまいました。舞台芸術への打撃は凄まじく、「歌うこと」「集うこと」そのものが、あたかも社会悪のように扱われた時期さえありました。「このままでは日本の文化芸術の灯が消えてしまう」 その危機感が、谷さんの背中を押したのです。
思い立ったら、すぐに行動をすると両親から教えられた谷さんは、すぐに政治活動を始めました。
批判するだけでは何も変わらない、自分たちのまち、自分たちの国を良くしたい!そういった強い決意を胸に、政治活動を始めたようです。しかし、その道のりは平坦ではありませんでした。「せっかく音楽で生活できているのに、もったいない!」「谷さん、政治活動なんかしたら仕事減りますよ。」友人にも嫌われ、実際に仕事も減ったそうです。
それでも谷さんは、この選択を後悔していません。「政府は本当に国益のために働いているのか」という根源的な問いが、彼の心を離れることはありませんでした。そして、「政治活動をしないリスクの方が、はるかに大きい」という確信に至ったのです。参政党の党勢拡大こそが、日本を危機から救う方法だと確信し、谷浩一郎さんは街頭演説を続けています。
谷浩一郎(参政党)の学歴は?
谷浩一郎さんが卒業した高校や大学について、ここではみていきましょう。
谷浩一郎さんが卒業した高校は、大阪府立夕陽丘高等学校です。
大阪市天王寺区にあり、創立100年以上を誇る、大阪でも指折りの伝統校の一つです。また同校は、大阪府立の高校では唯一「音楽科」を開設しています。(ただし、谷浩一郎さんは普通科を卒業されているようです)偏差値は61です。同校の有名な卒業生としては、元文部大臣で日本ユニセフ協会会長の赤松良子さんがいます。
谷浩一郎さんが卒業した大学は、大阪音楽大学です。
大学、短大、大学院を擁する関西唯一の音楽単科大学として、こちらも創立100年を超える伝統校です。関西圏を中心に、音楽界で活躍する音楽家やアーティストを多数輩出しており、偏差値は35です。大阪音楽大学の有名な卒業生としては、歌手のaikoさん(短期大学卒業)や指揮者・演出家の西本智実さんがいます。谷浩一郎さんは、同校で声楽を専攻し、大学院まで修了しています。
谷浩一郎(参政党)は結婚して妻はいる?
続いては、谷浩一郎さんの家族について、次のとおり調べてみました。妻や子はいらっしゃるのでしょうか。
谷浩一郎(参政党)は結婚して妻はいる?
Youtubeで谷浩一郎さんの演説を実際に聞いてみると、とても声が通っていて非常に聞きやすいことがわかります。さすが関西を代表するテノール歌手だと感じました。また演説の内容も非常にわかりやすく、時にユーモアを交え、時に真剣に訴える演説は、聴衆を惹きつけます。伝える力、訴える力が非常に強いのです。テノール歌手として日本有数の存在ですが、政治家としても間違いなく活躍が期待できるのではないでしょうか。
その演説の中でたびたび話題に上がるのが、小学校低学年の息子さんの存在です。ある日、谷さんは息子さんに「お父さん、運動会にきてくれる?」と聞かれたそうですが、谷さんは選挙戦の真っ只中であり、運動会にいくことはできないと答えたそうです。これを受け息子さんは「選挙なんてなくなってしまえばいいのに!」と拗ねてしまった、というエピソードが語られていました。谷さんは、息子さんに申し訳ない思いで一杯だと反省していました。
この演説の内容から、小学校低学年の息子さんが一人いらっしゃることがわかります。しかしながら、奥様については演説で触れられていませんでした。その他様々な情報を調べましたが、奥様については情報がありませんでした。
まとめ
谷浩一郎さんがテノール歌手から政治家への転身を決意したのは、コロナ禍で「歌うこと」「集うこと」が社会悪のように扱われた経験からでした。「このままでは日本の文化芸術の灯が消えてしまう」という危機感が、谷さんの背中を押したことがわかりましたね!
小学生の息子を持つ父親でもある谷さんの選挙活動からは、音楽家としての表現力と、文化芸術の灯を守りたいという強い使命感が伝わってきます。10月27日の衆院選では惜しくも当選とはなりませんでしたが、谷浩一郎さんの今後の政治活動に期待しましょう!
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