俳優でミュージシャンの世良公則さんが、2025年夏の参院選に無所属で出馬する意向を表明し、政界にも衝撃が走っています。
「あんたのバラード」で一世を風靡し、ドラマではかたせ梨乃さんとの共演でも知られる世良公則さん。実はバイオリンの演奏経験もあり、音楽と表現の力を政治に活かすと語ります。かねてより高市早苗さんら保守政治家とも親交があり、今回の出馬は「文化と信念の融合」とも言える一歩。
若い頃からかっこいいと言われていた世良公則さん。ミュージシャンとしての代表曲はどのようなものがあったのでしょうか。
また現在はどのような活動をしているのでしょうか。これまでの経歴、学歴も気になります。
今回は世良公則さんが若い頃かっこいい!と言われていた理由や代表曲をまとめました。現在の世良公則さんの活動や経歴、学歴についても合わせて調べましたので、ご覧ください。
世良公則の若い頃かっこいい!経歴についても
ワイルドなルックスと圧倒的なステージパフォーマンスで、一世を風靡した世良公則さん。
1970年代後半、「世良公則&ツイスト」のフロントマンとして登場した彼は、無造作な長髪にレザージャケット、そして白いマイクスタンドを操るシャウトスタイルで、多くの若者の記憶に刻まれました。
ネット上でも若い頃の世良公則さんは「野性的なルックスがかっこいい!」と再評価されています。
そんな世良公則さんのかっこいい!と言われる所以について迫ります。また経歴、プロフィールについてもまとめました。
世良公則の若い頃かっこいい!
世良公則さんの若い頃が「かっこよかった」と言われる理由は、その圧倒的なルックス・カリスマ性・パフォーマンス力にあります。特に1970年代後半から1980年代初頭にかけては、ロックバンド「ツイスト」のボーカルとして絶大な人気を誇り、若者たちの憧れの的でした。
1. ワイルドな風貌とファッション
- 長髪にレザージャケット、サングラス姿がトレードマークで、当時の日本には珍しい“本格派ロックの男”として注目されました。
- 圧倒的な存在感で、「和製ジム・モリソン(The Doorsのボーカル)」とも称されることも。
2. 低音ハスキーボイスと熱い歌唱
- デビュー曲「あんたのバラード」(1977年)は、硬派で情熱的な歌声とシャウトが特徴で、「男臭くてカッコいい」という声が殺到。
- 感情むき出しの熱唱スタイルが、当時の「さわやかアイドルブーム」とは一線を画し、強烈な個性として支持されました。
3. 俳優としての活躍でも魅了
- 映画『台風クラブ』や『カンゾー先生』などでは、粗削りながらも真に迫る演技で男の色気を発揮。
- 特に1980年代後半には、「演技力もあるロックシンガー」として評価が高まり、硬派な俳優としての人気も確立しました。
世間の声(SNS・メディアより)
- 「世良公則の若い頃、マジでワイルドで美しい」「ツイスト時代のライブ映像見ると、目が離せない」「あの汗だくで全身全霊のシャウトがカッコよすぎ」など、多くの称賛の声があります。
- また、2020年代に入っても「今も渋くてかっこいい」と再評価が進み、若い世代にも注目される存在となっています。
- 過去のライブ映像や音楽番組アーカイブ(「夜のヒットスタジオ」や「ザ・ベストテン」)などで見られる若き日の姿は、彫刻のような顔立ちに、鋭い眼光が印象的で、まさに「昭和のロックスター」と話題に。
当時の写真や映像を見ても、男らしくキマった姿や派手なマイクパフォーマンスが印象的で、「昔の世良公則もやっぱりかっこいい」という声が多く寄せられています!
世良公則の若い頃から現在までの経歴は?
以下、世良公則さんの若い頃から現在までの経歴です。
幼少期
- 1955年12月14日、広島県福山市生まれ
- 幼少期からバイオリンを習い、クラシック音楽に親しむ
ツイスト時代(1977年〜1981年)
- 1977年:ロックバンド「ツイスト」のボーカルとしてデビュー
- 同年:「あんたのバラード」で第1回ポプコン最優秀賞を受賞し大ブレイク
- 1978年:「宿無し」でNHK紅白歌合戦に初出場
- 1979年:申告所得が5,625万円(歌手部門8位)と報じられ、時の人に
- 1981年:ツイストを解散し、ソロ活動へ
俳優活動(1980年代〜)
- 1983年:映画『台風クラブ』で本格的に俳優業へ
- 1986年:映画『極道の妻たち』(五社英雄監督)でかたせ梨乃さんと共演
- 演じた役は抗争組織の組長で、真琴役のかたせ梨乃さんと濃厚なシーンも話題に
- 1998年:映画『カンゾー先生』で日本アカデミー賞・優秀助演男優賞を受賞
音楽活動の再評価(2000年代〜)
- 「世良公則&ツイスト」名義での再結成ライブやソロライブ活動を継続
- 2011年以降:NHK『SONGS』『うたコン』などで生演奏披露し話題に
- バイオリンの腕前が注目されるように
- クラシックを学んでいた経験があり、番組で演奏を披露したこともある
- ファンの間では「ロックだけでなくバイオリンも弾ける多才な男」と評価されている
政治・文化発信(2020年代)
- 2021年:高市早苗さんと文化・政策に関する対談を実施
- 2024年:SNSなどで社会問題や文化政策に積極発言
- 2025年:参議院選挙(大阪選挙区)に無所属で出馬を表明
- 「文化を守る政治を」として、自らの経験を国政に活かす意欲を語る
- 「文化を守る政治を」として、自らの経験を国政に活かす意欲を語る
その他
- 現在も音楽活動・俳優業・講演活動など多方面で活躍中
- 「あんたのバラード」は今も多くの世代に愛される代表曲
- 若い頃のワイルドな風貌と圧倒的パフォーマンスで「伝説のロック歌手」として語り継がれている
世良公則のプロフィールについて
以下、世良公則さんのプロフィールです。
生年月日 | 1955年12月14日 |
年齢 | 69歳(2025年現在) |
星座 | いて座 |
血液型 | A型 |
身長 | 176cm |
出身地 | 広島 |
ジャンル | 歌手・アーティスト 、俳優 |
デビュー年 | 1977年 |
デビュー作 | あんたのバラード (シングル) |
デビューしたきっかけ | YAMAHA ポプコン 世界歌謡祭グランプリ受賞 1977年にツイストでデビュー 1981年解散 |
代表作 | あんたのバラード (シングル)/1977年 宿無し (シングル)/1978年 銃爪 (シングル)/1978年 カンゾー先生 (映画)/1998年 |
特技 | 陶芸 |
趣味 | 陶芸 |
世良公則の出身中学・高校や大学の学歴は?
俳優・ミュージシャンとして第一線で活躍し、現在は参議院大阪選挙区に無所属で出馬する異色の政治挑戦も注目を集めている世良公則さん。その根底には、学生時代からの変わらぬ「音楽への情熱」があります。
幼少期にはバイオリン習得を経て、高校時代は不良ファッションをまといながらバンド活動に没頭。
そんな世良公則さんの学歴をまとめました。
世良公則の出身中学と高校について
世良公則さんの出身中学は福山市立向丘中学校(広島県福山市)です。
中学時代はバレーボール部に所属し、スポーツも好きだったそうです。
この頃から音楽にも興味を持ち、父親の真空管ラジオで深夜放送を聴いていました。ザ・ローリング・ストーンズの「Paint It Black」を聴き、ロックに衝撃を受けたとのころです。
また、当時は成績が悪く、先生から「お前に入れる高校はない」と言われたが、その言葉に発奮して猛勉強し、後述の高校にトップで入学しました。
世良公則さんの出身高校は広島県立福山葦陽高等学校(広島県福山市)です。
高校の偏差値 偏差値:50(普通科)広島県内では平均的なレベルの高校です。
高校時代はリーゼントに長ラン、ボンタンという不良スタイルで登校していました。周囲とよくケンカしたり、不良仲間が多かったなどの逸話が多数あります 。修学旅行で女風呂をのぞいて怒られたエピソードもあります。
この頃はバイクを乗り回し、洋楽(特にローリング・ストーンズ)に強い興味を持っていたそうです。
クラスメイトに誘われてバンド活動を始め、ベースを担当。これは3歳から習っていたバイオリン経験を活かし、弦楽器の経験があるという理由からでした。
世良公則さんは幼少期から高校2年生まで、クラシックのバイオリンを習っていました。バイオリン習得により、譜面を見て即演奏できる耳コピー能力を獲得し、これが後のギター・ベース演奏に活かされることになります 。
高校時代に結成したバンド「FBIバンド」が、後の「ツイスト」へと発展しました。
このように世良公則さんのバイオリン経験がプロデビュー前から音楽的基盤を支えた重要な要素でもあります。
現在でも、音楽番組でバイオリン演奏を披露するなど、「バイオリンも弾ける多才なミュージシャン」として知られています。
世良公則の出身大学は?
世良公則さんの出身大学は大阪芸術大学 芸術学部放送学科です。
現在の大阪芸術大学の偏差値は40ほどです。
有名な卒業生には古田新太さん(俳優)大塚愛さん(歌手)笑福亭笑瓶さん(落語家)などがいます。
このほかにも、映画監督、声優、漫画家、アナウンサー、ミュージシャンなど多彩な分野で活躍する卒業生が多数います。大阪芸術大学は芸能・クリエイティブ分野で多くの著名人を輩出しています。
大学時代はバンド活動に熱中し、当初はベースを担当。しかし、大学2年生の終わり頃、音楽関係者から「前任のヴォーカルが下手」と指摘され、ヴォーカルに転向することになります。
バンド「FBIバンド」として洋楽カバー(ローリング・ストーンズやフェイセズなど)を演奏していましたが、大学4年時にバンド名を「ツイスト」に改名し、オリジナル楽曲も制作。
1977年、メンバーの大学卒業を機にヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に出場し、「あんたのバラード」でグランプリを獲得。これがプロデビューのきっかけとなりました。
世良公則の現在についてと年収
ロック歌手としての第一線を走り続け、俳優・文化活動家としても多才に活躍してきた世良公則さん。
2025年現在、精力的な音楽・俳優活動に加え、参議院(大阪選挙区)へ無所属出馬するという異例の政治挑戦を行っています。
若い頃から大活躍していた世良公則さんの現在の活動と年収(推定)についてまとめました。
世良公則の現在についてと年収
世良公則さんは現在、音楽・俳優活動と並行して、参議院選挙(2025年7月、大阪選挙区)に無所属で出馬するという異色の政治挑戦を遂げています。
大活躍の世良公則さんは一体どのくらい年収があったのでしょうか。
世良公則さんの気になる年収を以下に推測してみました。
全盛期(1977〜1980年代)の年収
1979年の申告所得(いわゆる長者番付)として、歌手部門で第8位、5,625万円を記録しています。当時、日本の高卒初任給が月6万円ほどであったことを考えると、驚異的な水準でした。
現在(2020年代)の年収予測
一部の推計では、2,000万円以上という報道があります 。また別の試算では、バンド・俳優活動や印税を勘案して1億円近くという見方もあるようです 。
いずれの数値も公式発表ではなく、あくまで報道等からの推測です。
主な収入源
・音楽活動
ツイスト時代やソロ名義でのライブやコンサートの公演料
作詞・作曲による印税収入(特に「あんたのバラード」「銃爪」など)
ライブアルバムやグッズ収益
・俳優業
テレビドラマ/映画出演料(『カンゾー先生』で日本アカデミー助演男優賞を受賞)
・その他の メディア出演
テレビ番組、CM、ラジオなどへの出演料
政治的発言含めた講演料や投稿活動(X、議員懇談会など)
・プロデュース/制作
野外音楽フェスの主催・プロデュース
音楽プロダクションの代表業務等の収益
東京都・世田谷区成城に豪邸を持っているという情報もあります。
また、2025年7月1日、大阪選挙区から無所属で参院選出馬を表明しています。当選後は議員報酬(約年2,000万円程度)への期待も出てくる可能性があります。
世良公則の代表曲について
ワイルドなシャウトと情熱的なステージパフォーマンスで、昭和の音楽シーンに衝撃を与えた世良公則さん。
1970年代後半、バンド「ツイスト」のボーカルとして登場すると、その圧倒的な存在感とメッセージ性の強いロックナンバーで若者の心をつかみました。
そんな世良公則さんの音楽は、時代を超えて今もなお多くのファンに愛され続けています。ここでは、世良公則さんの代表曲を通して、唯一無二のロック魂を振り返ってみましょう。
世良公則の代表曲は?
世良公則さんの代表曲は、1970年代後半から1980年代初頭にかけて一世を風靡したロックバンド「世良公則&ツイスト」時代の作品を中心に、以下のような楽曲があります。
世良公則の代表曲一覧(代表的な順)
1. あんたのバラード(1977年)
ツイストのデビュー曲。ヤマハ・ポプコンで最優秀賞を受賞し、一躍スターダムへ
シャウトするような歌い方と、哀愁のこもった歌詞が話題に。
2. 宿無し(1978年)
ツイストの2ndシングルで、NHK紅白歌合戦にも出場。
社会の片隅で生きる男の生き様を描いたロックバラード。
3. 銃爪(ひきがね)(1978年)
ハードロック調の名曲で、力強いリズムと鋭いメッセージが印象的。
男らしさを象徴するような1曲。
4. 燃えろいい女(1979年)
女性への情熱的な愛を歌った、パワフルなロックナンバー。
キャッチーなメロディが人気。
5. 恋の炎(1980年)
ツイスト中期の作品。ロック色をやや抑え、歌謡ロックとして親しまれる。
近年はライブで「あんたのバラード」や「宿無し」をセルフカバーすることも多く、「伝説のロックナンバー」として再評価されています。
世良公則が参院選に出馬する理由や政策について
世良公則さんが2025年夏、参議院大阪選挙区に無所属で出馬を表明した背景には、業界経験を通じて得た「現場の声を政治に反映させたい」という明確な思いがあります。
彼曰く、コロナ禍でエンタメ業界が苦境に立たされた経験から、文化・観光・土地政策など現場型の課題解決が必要と強く感じたとのこと。
世良公則さんが参院選に出馬する理由や政策についてまとめました。
良公則が参院選に出馬する理由や政策について
世良公則さんは、2025年7月3日に公示された参議院選挙に、大阪選挙区から無所属で立候補する意向を表明しました。音楽活動や俳優業を通じて培った社会問題への関心を政治の力で変革を目指すとしています。
大阪選挙区を選んだ理由については、自身の音楽活動のスタート地点であり、節目ごとに帰ってきた思い入れのある場所だからと説明しています。
出馬の理由
具体的には、世良公則さんは、長年のエンタメ業界での経験を通じて、コロナ禍における芸能人の貧困問題や文化政策の不備を目の当たりにし、政治の力で変えたいと考え始めたと述べています。
無所属での出馬を選んだ理由については、既存政党からの誘いを断り、「特定の政党に縛られず自由な発言ができる立場で政治に関わりたい」と語っています。
主な政策・公約
- 観光公害(オーバーツーリズム)対策:観光地の過密化を防ぎ、地域の持続可能な発展を目指す。
- 外国人土地取得規制の強化:土地の売買に関する規制を見直し、国土の保全を図る。
- 財政政策の見直しと減税:物価高対策として、財政政策の見直しや減税を訴える。
- 文化政策の充実:芸術文化振興法の制定や、フリーランス芸能人の社会保障拡充、音楽教室など文化施設への税制優遇、地方のライブハウス支援策などを提案しています。
特に力を入れているのが、コロナ禍で打撃を受けたエンタメ業界の復興支援です。
選挙戦の戦略と展望
- 世良公則さんは、無所属での当選は難しいと言われる中、全国的な知名度やSNSの活用、文化政策を中心にした明確なメッセージを武器に、選挙戦を戦っています。
- 選挙運動では、ライブハウスでのトークイベントを企画し、従来の選挙運動とは異なるアプローチで支持を広げようとしています。
- また、クラウドファンディングを活用し、従来の政治資金カンパとは異なる方法で資金調達を進めています。
世良公則さんの参院選出馬は、音楽と政治の融合を目指す新しい形の政治参画として注目されています。今後の選挙戦の動向に注目が集まります。
まとめ
世良公則さんの若い頃が「かっこよかった」と言われる理由は?圧倒的なルックス・カリスマ性・パフォーマンス力
世良公則の若い頃から現在までの経歴は?幼少期からバイオリンを習っていた、1977年:「ツイスト」デビュー、1986年:映画「極道の妻たち」でかたせ梨乃さんと共演など
世良公則のプロフィールは?歌手、俳優
世良公則の出身中学・高校や大学の学歴は?福山市立向丘中学校→福山葦陽高等学校→大阪芸術大学 芸術学部放送学科
世良公則の現在についてと年収は?音楽・俳優活動、参議院選挙出馬。全盛期の年収5,625万円 現在(2020年代)の年収予測2,000万円~1億円
世良公則の代表曲は?あんたのバラード (シングル)/1977年 宿無し (シングル)/1978年 銃爪 (シングル)/1978年など
世良公則が参院選に出馬する理由は?コロナ禍における芸能人の貧困問題や文化政策の不備を目の当たりにし、政治の力で変えたいと考えた
世良公則の政策は?コロナ禍で打撃を受けたエンタメ業界の復興支援など
世良公則さんの参院選出馬は、単なる芸能人の政治挑戦を超え、「現場の声を届ける新たな政治の形」を示すものです。ロック魂と情熱を持って、文化や地域の課題に真摯に取り組む彼の姿勢は、多くの人々に勇気と希望を与えるでしょう。世良公則さんが新しい風を政治の世界に吹き込むことを期待して、応援します!
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